建築随想

戸田英二 建築家

時への抗い

建築においては「時間が排除され、消去され、隠蔽されている」01と哲学者の小林康夫さんはいいます。すなわち作品としての建築は、「錯綜的、複合的な時間性を無視」することで「みずからの純粋な形態の超越性を確保」しようとしている、というのです。
 たしかに建築家にはそうした思考の中で建築を発想する傾向があります。建築家の磯崎新さんも「時間の進行を停止させることが、設計である」02と述べていますが、さらに磯崎さんは「にもかかわらず、徐々にこの(作品の)風化は進行する」と続けて述べているように、純粋な形態として発想された建築は、現実の空間に実体化した途端に「時間の予測しがたい暴力にさらされ、洗われ」01ざるをえないのです。
 建築家の創作の歴史は、こうした時間の暴力に対する抗いの歴史であったといえるかもしれません。建築に時間を取り戻すために、スペインの建築家ガウディは「絶えず変貌してやまないある種の生命体」01として建築を考えました。また「日常的な時間がもたらす乱雑化、不安定化を上回る複合性をあらかじめ建築のうちに仕掛け」01ようと試みた建築家もいました。
 ヨーロッパの大聖堂では、ステンドグラスを通した光の変化による“時間の軌跡”を建築のなかに取り込み、古代マヤのチチェン・イッツアにあるククルカンのピラミッドのように都市的空間のなかにモニュメンタルに時間を取り込んだ例03もありました。また古代ローマのハドリアヌス帝は、時と空間を越えて世界中(当時知られていた限りの)の景勝や建物を一箇所に再現しようとしました。このような試みが「不滅性、永遠性の希求となって、数々のモニュメントの制作として歴史に記録され」02たのです。


ククルカンのピラミッド/チチェン・イッツア/メキシコ

01:身体と空間/小林康夫/1995.11.25 筑摩書房
02:廃墟論/磯崎 新/見立ての手法 1990.08.10 鹿島出版会
03北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日・秋分の日の太陽が沈む時、ピラミッドが真西から照らされ、階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせながら階段を降りてくる姿)が現れます。ククルカンの降臨と呼ばれ、多くのの観光客が押し寄せています。